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内地
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私は、函館西高卒業だが、北海道生まれではない。父親の転勤のため、育ちは転々とした。
北海道との縁は、小学1年は旭川、2年は札幌大通、途中から学芸大学附属小学校、(広島市・岡山市と飛んで)小学5年生2学期から6年生は函館であった。
さて北海道生まれ育ちの人々で、特に昭和生まれの人は、本州のことを内地と呼ぶ。その場合九州、四国は本州と一緒くたにしている。沖縄は内地に入らない、それこそモロに米軍統治下であった。ついでに言うと、内地と北海道も本質的にはアメリカ従属下にあったが、私などがそれとはっきり認識できたのは、恥ずかしながら大学生になってからであった。
最近の若い道民は、「道内の人、道外の人」という概念は分かっても、そのほかになぜ「内地」という概念があった(ある)のか不思議がっているようだ。
北海道以外の他の県民は、自分たちの県以外は具体的には隣接の県、離れた他県という概念はあっても「内地」という概念は持たない。
内地という言葉があるからには、その反対語は「外地」、以外にはあり得ない。
北海道道民が使う内地、と沖縄の「うちなんちゅ」の「内」は真逆である。
なぜかは、少し考えれば明らかである。
明治以降現在の北海道道民は、北海道の土地や川海を先住のアイヌ民族から奪い取った日本に属する日本人であり、沖縄県民は日本やアメリカに蹂躙され続けてきた沖縄人だからである。
渡辺靖之
北海道との縁は、小学1年は旭川、2年は札幌大通、途中から学芸大学附属小学校、(広島市・岡山市と飛んで)小学5年生2学期から6年生は函館であった。
さて北海道生まれ育ちの人々で、特に昭和生まれの人は、本州のことを内地と呼ぶ。その場合九州、四国は本州と一緒くたにしている。沖縄は内地に入らない、それこそモロに米軍統治下であった。ついでに言うと、内地と北海道も本質的にはアメリカ従属下にあったが、私などがそれとはっきり認識できたのは、恥ずかしながら大学生になってからであった。
最近の若い道民は、「道内の人、道外の人」という概念は分かっても、そのほかになぜ「内地」という概念があった(ある)のか不思議がっているようだ。
北海道以外の他の県民は、自分たちの県以外は具体的には隣接の県、離れた他県という概念はあっても「内地」という概念は持たない。
内地という言葉があるからには、その反対語は「外地」、以外にはあり得ない。
北海道道民が使う内地、と沖縄の「うちなんちゅ」の「内」は真逆である。
なぜかは、少し考えれば明らかである。
明治以降現在の北海道道民は、北海道の土地や川海を先住のアイヌ民族から奪い取った日本に属する日本人であり、沖縄県民は日本やアメリカに蹂躙され続けてきた沖縄人だからである。
渡辺靖之
ごん太モン
今でもアイヌの生き方を実践されている家族のドキュメンタリー映画『アイヌプリ』
渋谷での上映は終わりましたが、2月からは柏駅前の映画館で上映予定だそうです。
新小岩~船橋は快速にグリーン車がありますし、船橋~柏の東武線は行きも帰りも始発駅なので1本待てば座れます。
また「戦後昭和なのに座敷牢療法をしてしまった」統合失調症の家族のドキュメンタリー映画『どうすればよかった?』も公開中です。
アイヌプリ
https://ainupuri-movie.jp/
どうすればよかったか?
https://dosureba.com/
キネマ旬報シアター(柏駅西口)
https://kinejun-theater.com/news/65b0855226877b7f6e4d944e
https://kinejun-theater.com/
渋谷での上映は終わりましたが、2月からは柏駅前の映画館で上映予定だそうです。
新小岩~船橋は快速にグリーン車がありますし、船橋~柏の東武線は行きも帰りも始発駅なので1本待てば座れます。
また「戦後昭和なのに座敷牢療法をしてしまった」統合失調症の家族のドキュメンタリー映画『どうすればよかった?』も公開中です。
アイヌプリ
https://ainupuri-movie.jp/
どうすればよかったか?
https://dosureba.com/
キネマ旬報シアター(柏駅西口)
https://kinejun-theater.com/news/65b0855226877b7f6e4d944e
https://kinejun-theater.com/
マルクスは、25歳の時の論文「ヘーゲル法哲学批判・序説」のなかで、「宗教上の不幸は、一つには現実の不幸の表現であり、一つには現実の不幸にたいする抗議である。宗教は、なやめるもののため息であり、心なき世界の心情であるとともに精神なき状態の精神である。それは民衆のアヘンである」と書いたことがあります。
この文脈からも明らかなように、アヘンを単純に毒薬という意味で使っているのではありません。アヘンは乱用すれば有害ですが、アヘンの成分から作られるモルヒネは、鎮痛剤として使われています。
アヘンという言葉には、宗教に対するマルクスの批判もこめられています。宗教は民衆にあきらめとなぐさめを説き、現実の不幸を改革するために立ち上がるのを妨げている、という意味です。ここには、当時のヨーロッパで宗教が果たしていた歴史的な事情が反映しています。キリスト教は、国王権力と支えあう関係になって、専制支配のもとで苦悩する民衆に忍従を説いていました。マルクスはそうした宗教の役割を批判したのです。
マルクスがアヘンという言葉を使った背景には、当時のヨーロッパでアヘンが話題となっていたという事情もあります。イギリスが植民地インドで製造したアヘンを中国(清)に密輸し、アヘン戦争が起こった時代でした。
反動勢力は、「宗教はアヘン」というマルクスの言葉をわい曲して、科学的社会主義を攻撃しました。それが今も影響しているといえます。しかし、マルクスが宗教を侮蔑(ぶべつ)していないことは、宗教によって不幸に抗議している、と述べていることからも明らかです。
科学的社会主義は、反宗教の立場ではなく、宗教が実際に果たした役割を分析し、宗教がになった民衆への奉仕の意義を重視して、世界観の違いをこえた宗教者との共同をはかってきました。
日本共産党は、日本の宗教には、一部に反社会的、反民主主義的動向がみられるものの、宗教界の多くの人びとが社会進歩に積極的役割を果たしていると考えています。日本共産党の綱領は「信教の自由を擁護し、政教分離の原則の徹底をはかる」と明記し、この方針をつらぬいて、宗教者との対話と共同を発展させています。(2010・7・15)
以上の文章は日本共産党の宗教観です。本当に優しい歴史観、宗教観です。あの自民党右派の中曽根康弘さえ、共産党を倫理性の高い政党だと認めていました。
それにしてもヨーロッパ文化の先進性、なかでもマルクスの世界観の科学性先進性はすごいです。明治維新はマルクス50歳ですから、マルクスは江戸時代のひとなんです。
渡辺靖之
この文脈からも明らかなように、アヘンを単純に毒薬という意味で使っているのではありません。アヘンは乱用すれば有害ですが、アヘンの成分から作られるモルヒネは、鎮痛剤として使われています。
アヘンという言葉には、宗教に対するマルクスの批判もこめられています。宗教は民衆にあきらめとなぐさめを説き、現実の不幸を改革するために立ち上がるのを妨げている、という意味です。ここには、当時のヨーロッパで宗教が果たしていた歴史的な事情が反映しています。キリスト教は、国王権力と支えあう関係になって、専制支配のもとで苦悩する民衆に忍従を説いていました。マルクスはそうした宗教の役割を批判したのです。
マルクスがアヘンという言葉を使った背景には、当時のヨーロッパでアヘンが話題となっていたという事情もあります。イギリスが植民地インドで製造したアヘンを中国(清)に密輸し、アヘン戦争が起こった時代でした。
反動勢力は、「宗教はアヘン」というマルクスの言葉をわい曲して、科学的社会主義を攻撃しました。それが今も影響しているといえます。しかし、マルクスが宗教を侮蔑(ぶべつ)していないことは、宗教によって不幸に抗議している、と述べていることからも明らかです。
科学的社会主義は、反宗教の立場ではなく、宗教が実際に果たした役割を分析し、宗教がになった民衆への奉仕の意義を重視して、世界観の違いをこえた宗教者との共同をはかってきました。
日本共産党は、日本の宗教には、一部に反社会的、反民主主義的動向がみられるものの、宗教界の多くの人びとが社会進歩に積極的役割を果たしていると考えています。日本共産党の綱領は「信教の自由を擁護し、政教分離の原則の徹底をはかる」と明記し、この方針をつらぬいて、宗教者との対話と共同を発展させています。(2010・7・15)
以上の文章は日本共産党の宗教観です。本当に優しい歴史観、宗教観です。あの自民党右派の中曽根康弘さえ、共産党を倫理性の高い政党だと認めていました。
それにしてもヨーロッパ文化の先進性、なかでもマルクスの世界観の科学性先進性はすごいです。明治維新はマルクス50歳ですから、マルクスは江戸時代のひとなんです。
渡辺靖之
デジタル大辞泉「求めよさらば与えられん」の解説では、新約聖書「マタイ伝」から、「神に祈り求めなさい。 そうすれば神は正しい信仰を与えてくださるだろう」の意。 転じて、物事を成就するためには、与えられるのを待つのではなく、みずから進んで求める姿勢が大事だということ。
宗教心を論じている場合に、このような理解は理解に苦しむ、企業の自己啓発ではあるまいし。このような理解がまかり通っているのは嘆かわしい。
数日前のことであるが、夕方6時半までの午後診療を終わって、クリニックでひとりで休んでいる時のこと。定期往診している、ひとり暮らしの高齢婦人から電話が入った。7時半過ぎのことである。
デイサービスから帰って、しばらくしてから腰が痛む。シップ薬は持っているので「誰でもいいから、誰か来てシップを張ってちょうだい」とのこと。
蕎麦屋の出前じゃあるまいし。明日も痛みが続いていたら、電話をください、と言ってがちゃんした。
「助けて、貴方に」と言われれば、もう少し違った対応になったかもしれない。
その患者さんからは、翌日も、翌々日にも電話はかかってこなかった。怒ったまま、当院にこなければ、顧客をひとり失ったが、ばば抜きしてもらったとも言える。
神様(困ったときの神様)ごめんなさい。
渡辺靖之
宗教心を論じている場合に、このような理解は理解に苦しむ、企業の自己啓発ではあるまいし。このような理解がまかり通っているのは嘆かわしい。
数日前のことであるが、夕方6時半までの午後診療を終わって、クリニックでひとりで休んでいる時のこと。定期往診している、ひとり暮らしの高齢婦人から電話が入った。7時半過ぎのことである。
デイサービスから帰って、しばらくしてから腰が痛む。シップ薬は持っているので「誰でもいいから、誰か来てシップを張ってちょうだい」とのこと。
蕎麦屋の出前じゃあるまいし。明日も痛みが続いていたら、電話をください、と言ってがちゃんした。
「助けて、貴方に」と言われれば、もう少し違った対応になったかもしれない。
その患者さんからは、翌日も、翌々日にも電話はかかってこなかった。怒ったまま、当院にこなければ、顧客をひとり失ったが、ばば抜きしてもらったとも言える。
神様(困ったときの神様)ごめんなさい。
渡辺靖之
山田洋二監督作品のあらすじは、インターネット検索していたら、あるサイトに次のようにまとめられていました。コピペしましたが、そのサイトにまた戻ることができません。申し訳ありません。
幕末の東北、海坂藩。
母の生前に奉公に来ていた百姓の娘・きえ(松たか子)と、三年振りに町で偶然再会した平侍の片桐宗蔵(永瀬正敏)。
だが、伊勢屋という大きな油問屋に嫁いで幸せに暮らしているとばかり思っていた彼女の、痩せて哀しげなその容姿に胸を痛める。
それから数ヵ月後、彼は、きえが過労で倒れ病床に臥せっていると聞くや、嫁ぎ先へ乗り込み強引に彼女を連れ帰るのだった。
その甲斐あって、やがてきえの体は順調に回復する。
宗蔵の侘しい独身生活も、明るさを取り戻した。
しかし、彼の行動は藩内で悪評を呼び、きえを実家に帰すことを余儀なくされてしまう。
そんな矢先、大事件が起こった。
海坂藩江戸屋敷で謀反を働いた罪で郷入りの刑に処されていた狭間弥市郎(小澤征悦)が牢を破り、百姓の家に人質をとって立て籠ったのだ。
弥市郎は藩内きっての剣豪。
そこで、大目付の甲田(小林稔侍)は彼と同じ剣術指南役・戸田寛斎(田中泯)の門下生だった宗蔵に討手を命じた。
果たして、宗蔵は弥市郎との戦いに挑むも、弥市郎の命を奪ったのは――鉄砲隊の放った銃弾だった。
侍らしい最期を遂げられなかった弥市郎の悔しさを嘆く宗蔵。
更に、家老の堀将監(緒形拳)が夫・弥市郎の命乞いにやって来た桂(高島礼子)の体を玩んだことを知った彼は、ふたりの無念を晴らすべく、戸田から授かった秘剣“鬼の爪”で堀の命を奪う。
その後、侍の道を捨て蝦夷へ旅立つ決意をした宗蔵。
宗蔵は、ずっと長い間胸に秘めていた熱い想いをきえに伝え、きえも宗蔵の気持ちを受け止めるのだった。
ところでこの隠し剣の技は、山田洋二映画では次のようである。宗蔵は、平伏から立位になり、怒って詰め寄ってくる家老の堀に対応。相手の視線を上に向けさせて、隠し持っていた小柄で瞬時に前胸部、心臓を一突きにする。堀は何が起きたか分からず、5秒ほどの間合いがあって倒れる。その間に宗蔵は何事もなかったかのように立ち去る。
当時の医者の検視では傷口は分かっても、人間の仕業ではないと判断されてしまう。
これが山田洋二監督の映画「隠し剣鬼の爪」のシーンだが、他の映画かテレビドラマで、同じような設定ではあるが、技が少し違ったのを見たことがある。廊下にかしこまって座った暗殺者(主人公)が、頭上から話しかけてくる相手の股間から心臓に向けて長い細身の剣で心臓を突くというものだった。座位からの仕掛けです。
必殺シリーズだったかもしれない。誰かご存知ないでしょうか?
理不尽なことがまかりとおり、法で裁ききれないときには、隠し剣のような手段も止むを得ないというのが、藤沢周平さんも山田洋二監督もおそらくそういう立場だと思われます。私自身ももちろんその立場です。ただ自分自身が当事者の場合には、他に手段はなく、「自爆テロ」しかないなと思っています。
渡辺靖之
幕末の東北、海坂藩。
母の生前に奉公に来ていた百姓の娘・きえ(松たか子)と、三年振りに町で偶然再会した平侍の片桐宗蔵(永瀬正敏)。
だが、伊勢屋という大きな油問屋に嫁いで幸せに暮らしているとばかり思っていた彼女の、痩せて哀しげなその容姿に胸を痛める。
それから数ヵ月後、彼は、きえが過労で倒れ病床に臥せっていると聞くや、嫁ぎ先へ乗り込み強引に彼女を連れ帰るのだった。
その甲斐あって、やがてきえの体は順調に回復する。
宗蔵の侘しい独身生活も、明るさを取り戻した。
しかし、彼の行動は藩内で悪評を呼び、きえを実家に帰すことを余儀なくされてしまう。
そんな矢先、大事件が起こった。
海坂藩江戸屋敷で謀反を働いた罪で郷入りの刑に処されていた狭間弥市郎(小澤征悦)が牢を破り、百姓の家に人質をとって立て籠ったのだ。
弥市郎は藩内きっての剣豪。
そこで、大目付の甲田(小林稔侍)は彼と同じ剣術指南役・戸田寛斎(田中泯)の門下生だった宗蔵に討手を命じた。
果たして、宗蔵は弥市郎との戦いに挑むも、弥市郎の命を奪ったのは――鉄砲隊の放った銃弾だった。
侍らしい最期を遂げられなかった弥市郎の悔しさを嘆く宗蔵。
更に、家老の堀将監(緒形拳)が夫・弥市郎の命乞いにやって来た桂(高島礼子)の体を玩んだことを知った彼は、ふたりの無念を晴らすべく、戸田から授かった秘剣“鬼の爪”で堀の命を奪う。
その後、侍の道を捨て蝦夷へ旅立つ決意をした宗蔵。
宗蔵は、ずっと長い間胸に秘めていた熱い想いをきえに伝え、きえも宗蔵の気持ちを受け止めるのだった。
ところでこの隠し剣の技は、山田洋二映画では次のようである。宗蔵は、平伏から立位になり、怒って詰め寄ってくる家老の堀に対応。相手の視線を上に向けさせて、隠し持っていた小柄で瞬時に前胸部、心臓を一突きにする。堀は何が起きたか分からず、5秒ほどの間合いがあって倒れる。その間に宗蔵は何事もなかったかのように立ち去る。
当時の医者の検視では傷口は分かっても、人間の仕業ではないと判断されてしまう。
これが山田洋二監督の映画「隠し剣鬼の爪」のシーンだが、他の映画かテレビドラマで、同じような設定ではあるが、技が少し違ったのを見たことがある。廊下にかしこまって座った暗殺者(主人公)が、頭上から話しかけてくる相手の股間から心臓に向けて長い細身の剣で心臓を突くというものだった。座位からの仕掛けです。
必殺シリーズだったかもしれない。誰かご存知ないでしょうか?
理不尽なことがまかりとおり、法で裁ききれないときには、隠し剣のような手段も止むを得ないというのが、藤沢周平さんも山田洋二監督もおそらくそういう立場だと思われます。私自身ももちろんその立場です。ただ自分自身が当事者の場合には、他に手段はなく、「自爆テロ」しかないなと思っています。
渡辺靖之